岡田くんの結婚をきっかけに、思ったこと。
私が岡田くんの結婚を最初に知ったのは、ツイッターのトレンド3位に「岡田くん結婚」というワードが浮上していたタイミングだった。
別グループのオタクをしている私は、ツイッターで、そのグループ内の好きなコンビ名で検索をかけるのが日課で、1日に最低でも3回は同じワードを検索しているくらいには気持ちの悪いオタクだ。
その日も、わくわくしながら検索タブに移動した。ツイッター公式アプリを利用している方はわかると思うが、検索タブに移動すると、その時に最も呟かれているトレンドワードなるものがランキング形式で表示される。否応なしに、である。
そこで、その(私にとっては)不穏なワードが目に入った時の衝撃と言ったら。思わず、当初の目的であった検索をそっちのけでそのワードをタップすると、表示された最初の5つくらいのツイートでなんとなく事態を把握した。最初に沸き起こった感情、それはやっぱり「ショック」だった。
少し話は逸れるが、私の岡田くんに対する思い入れを話すと、まず何と言っても岡田くんの顔がはちゃめちゃに好みだった(半紙より薄~いエピソード)。今推してるグループの某メンバーに出会うまでは、私は本気で、私にとって世界で一番かっこいい顔は岡田准一だと思っていたし公言していた。私が人生で一番好きなドラマで主演をしていたのもあり、一般茶の間ファンとして多少特別な感情はあったものの担当でもない私が、これだけショックを受けているのだ。岡田担のショックは私なんかが想像するのもおこがましい。
岡田担でも、ましてやV6担でもない私が、結婚と言う事実について言及するのは憚られるので、ショックではあるけれどもコメントをするのは控えよう、と思っていた。いや、事実への言及は今後も控えるつもりだが、この騒動に対する一部のオタクの反応が少し気になったので、ごく個人的な一意見として書きなぐることにした。
◆担当の結婚にショックを受けるのはごく自然な感情
担当、と書いたがジャニーズに限った話ではなく、また、担当と言うほど熱心に応援していたわけではなくても「好きだな」と好意的に見ていた芸能人が「結婚」することになったら、と想像してみてほしい。それまで、みんなの〇〇くんとして、その”みんな”に自分も含まれる形で与えられていたある種の愛が、自分ではない特定の”誰か”だけのものになる*1のである。ショックを受けないわけがない。
もちろん、ショックを受けずに素直にお祝いできる人もいることは承知の上だし、そういう人を否定する気持ちは毛頭ない。むしろ、自分もそうなれたらよかったと憧憬すら覚える。私が気になってしまったのは、こういった事態に「ショックを受けない」人の一部が、「ショックを受ける」人の気持ちを否定していたことだった。嘲笑すらしていたように思う。
ツイッター上での世間の反応をいくつか見ていた中で、こんなものがあった。
「結婚推奨派。自担のおめでたい話を祝えない気持ちがわからない」やら、「(結婚とか)平気なタイプ。私はちゃんとその辺の線引きできてるから(笑)」やら。
は?
シンプルに、きもちわるいな、と思った。なに自分語りしちゃってんの?と。自担の結婚に少なからずショックを受けていることと、お前の”自称・理解のあるオタク”アピールは、全く別次元の話なんだけど???大体、ショックを受けてるオタクの大半はちゃんと線引きできてんだよ。本気で〇〇くんと自分が結婚できると思ってるわけでも、自分のものにしたいわけでもない。ただ、”みんなのもの”だった〇〇くんが居なくなってしまったことへショックを受けているのであって、そのショックな気持ちを外野に否定されたり、ましてや嘲笑される筋合いはない。もちろん、ショックを受けている理由は前述に限らず、その人がその人の思う理由でショックだと思ったらショックだし、悲しいと思ったら悲しいし、怒りを覚えたのだとしたらそれも間違いではなくて、ただただ事実としてその感情が生まれたというだけだ。それは当然推奨派にも言えることで、素直におめでとうと思えたのならそれでいいし、嬉しい気持ちや、他のメンバーも早く結婚して欲しい、と思ったのならそれで正解なんだよ、その人にとっては。感情って自分だけのものじゃん。
だから、自分の中に起こった素直な感情をアウトプットする事は間違ってないし、全然いいんだけど、自分の気持ちを肯定しようとするあまり、自分と異なる意見に対して攻撃したり、嘲笑ったり、否定したり、そういうのは間違ってると、大間違いだと、言いたい。これは、ショックを受ける人、受けない人どちらにも言えること。と言うか、全ての事象に対して言えることだと思う。純粋に自分の意見を述べる分にはいいけど、それに乗じて他人を否定する行為は醜いよってことを言いたい*2。
◆結局、言いたいことは「ほっといてくれ」
今回は、私自身が自担の結婚に”ショックを受ける”タイプの人間だったためそっちサイドから書くが、とりあえず、ショックを受けてる人に対して追い打ちをかけてくれるな、と。自分の感情との折り合いは自分でしかつけられないのだから、理解できないだのなんだのとわざわざ言ってこなくていいよ、と。理解してもらおうと思ってないし。自分の感情が世間一般として”正しくない”*3ことは自分自身が一番分かっている。だからこそ、気持ちの整理をつけるためにも、自分の感情に向き合って必死でもがくのだ。それを他人に嘲笑われる謂れは、絶対にない。